ひびのなやみあれこれ

あたまでせいりできないぎもんをかく。

なぜをどこまで追究するのか?(中学数学編)

大学時代、物理化学の講義を受けた。教授は楽しそうに式をスラスラと書き、説明していた。残念ながら、私の脳力では理解できなかった。そんな大学時代の経験を積み重ねて、なぜを追求する時に限度があると感じるようになった(もちろん脳力が高い人は問題ないと思うが)。

最近の中学数学は、公式が成り立つための証明を理解させる教育を重視させていると、教科書を見ると感じる。具体的な数字を出して軽く説明しているのではなく、文字式を使ってしっかりと説明している。そして、この証明は、過去に中堅私立高校入試で見たものもある。これらを果たして何%の生徒が理解できるのか? 身近な中学生に聞くと、10%未満である。そして、その証明の説明には時間がかかるため、公式を利用して解く時間が削られる。その結果、証明は理解していないし、利用もできない(または解くスピードが遅い)。最悪、何をしたか覚えていない。これは、早急に改善すべき問題だと考える。もし、証明をさせたいならば、学ぶ事柄を減らすか、授業時間を増やすべきだろう。

追究は大切だが、脳力が必要である。どこで、境界線を引くのかは非常に難しい問題である。

もしかしたら、脳力が高い人々が集まって、数学を好きになってもらうために、善意で証明を増やしたのかもしれない。しかし、現状は数学嫌いが加速している。やはり、分かり合えないだろうか。それか現場の声を聞いたらどうだろうか。